思想が強い親を持つと最悪だ

人生が滅茶苦茶になる。100万回死んでほしい。

子供のころから自分だけなんか違う。悪い方向に目立ってしまう。理由はわからない。親や、一部の人間はそれを良いことだと言う。特別だ、と。でも自分が仲良くなりたい人間には敬遠されてしまう。

みんなと同じようにできない。同じようにやろうとしても、なぜか失敗してしまう。能力で劣っている訳じゃないのに。雰囲気とか、流れとか、空気とか、そういったフワッとしたものが理解できても、それに自分が混じるとその柔らかいものは壊れ、何も残らない。

子供の時は本当に理由が分からない。何も悪いことをした訳じゃないのに、真面目に頑張っているつもりなのに、なぜか自分だけダメだ。だからますます真面目になって、それでもやっぱり失敗する。

そういう悩みを親に相談しても、甘えるなと怒られるか、お前は間違っていないと肯定されるか、バカにされるかだ。ふざけるな。間違っているのは親、お前のほうだ。

思想が強い親は、そのやり方を継承した子供がコミュニティで通用しないことを認めようとしない。思想を決して否定しない。思想の「運用者」の子供か、それが通用しないコミュニティのせいにする。そして子供の悩みは永遠に解決しない。

思想が強い親の子は、生まれつき追い詰められている。世界で唯一の依り代となる親が狂っていても、子供は親を好きになり、その考え方を真似る。仮に疑問を抱いたり、親から距離をとるような素振りを子供が見せたら、親はあらゆる手でそれを阻止する。嘲る、怒鳴る、不機嫌になる、ご飯を抜く、無視をする、何件も電話をする、無理やり距離を詰めてくる。

そして子供が自分の思想の盲目な殉教者になったことを確信した途端、優しくなる。お前は正しいと言う。親の機嫌が良くなり、子供の家には束の間の平穏が訪れる。しかしその平穏は、地獄に通じている。

まさに洗脳だ。考えてほしい。世の中には一般的な価値観や風潮からかけ離れた人が一定数いる。誰だって少しは目にしたことはある。忘れているかもしれないけど。
そしてそうした狂った人にも子供は生まれるのだ。

0歳から続いた洗脳は、もはや洗脳じゃない。寧ろ社会の常識のほうが洗脳だ。だって生まれつきの価値観を否定されたら、それは間違っているとしか言いようがない。

社会は汚い、それは間違いない。でもその汚さは、その中で生きる人に力が与えられた証だ。思想が強い親は、社会の汚さに耐えられず、自分が否定されることを恐れ続け、世の力関係から逃げ、子供までも囲おうとする。

 

でも子供は学校に行かなくてはいけない。社会に出なくてはいけない。世の常識から外れた子供にとって、社会の風はとても冷たい。みんな等しく冷たいなら耐えられる。でも自分にだけ、拒絶的に冷たいのだ。

更に地獄なのが、学校もなかなか思想が強いことだ。子供に過剰な倫理が求められる。もちろん「普通の」家庭で育った生徒達は建前と本音をわきまえて居るから、学校の思想を「建前」として流せるが、強い思想の親の子は、それを「真実」だと思ってしまう。少しでも背いたら、ひどい目に合うと思う。自分が今辛いのは、倫理に背いたからだと。

そうやって周囲から浮き、過剰な倫理を真実だと思い込み、大人になってから物事の仕組みに気づいても、既に心は擦り切れている。燃え尽きている。

倫理は頭を良く働かせる。でも、何の役にも立たない「真実」のために頭を働かせ続けた子供が大人になったとき、実際の社会の道理に従い頭を働かせるための気力は残っていないのだ。